目次
医師一家に生まれて薬が身近にありました
曾祖父は大正時代にドイツへ国費留学し
ハンセン氏病の研究をしていた皮膚科の医師で、
両祖父、両親、親戚の半分近くが医師
という医者家系の家に、私は生まれました。
国立療養所大島青松園の所長だった曾祖父
兄と二人の姉の4人兄妹、
しかも全員年子の末っ子です。
(母は休む暇なく5年くらい妊婦服でした。)
両親はお見合い結婚と言いますか、
1960年代に、母は写真だけで
渡米していた父の元へ行き、
アメリカでいきなり結婚
(信じられません・・・)
上の姉と兄はフロリダで生まれました。
両家の家族に見送られ渡米する母
3歳の頃、京都から高松へ引っ越し、
祖父が建てた4階建ての病院の4階が
自宅でした。
ですから、お正月早々に患者さまが
お亡くなりになるなど、幼い頃から
病気や死は身近なものでした。
文武両道、自然を愛した父方の祖父は
玄米食や医食同源を提唱していて、
中学校でお弁当生活になるまでは、
我が家は玄米食でした。
忙しい母は、料理もするにはしましたが、
半分は病院の給食で育ったようなものです。
(薄味に慣れたことは良かったです。)
睡眠薬を飲んだ翌日に交通事故に
そんな環境の中で、私は小学生の頃から
健康には興味がありました。
ちょっとした健康オタクです。
父は泌尿器科医でしたが、
早くから漢方薬を取り入れ、
麻酔科医の母は中国の先生から鍼を習い、
診療に鍼を取り入れていました。
一方で、運動、スポーツに対する理解がなく、
安易に薬を飲む両親に対して
「これって心身が健康といえるのかな?」
と思うようになりました。
薬は極力飲みたくないし、
飲まないといけないとしたら
漢方薬の方がいいな・・・
そもそも元氣であれば、薬は要らないです。
20代の頃、デートで遠出する前日、
気分が高揚して眠れなかった私は、
母が常用していたデパス(睡眠薬)を
手渡され、初めて飲みました。
が、頭がピリピリするのを感じながら
結局一睡もできず・・・
翌日追突事故を起こしてしまいました。
これが私の薬嫌いを決定付けました。
私は薬を極力飲まなくて済むよう
人間が本来持つ、自然治癒力に注目し、
西洋医学の対症的療法よりも
東洋医学的な概念
陰陽五行説
ツボや経絡
・・・
代替医療
今で言う統合医療や予防医学的なことに
惹かれていきました。
セラピストから会社員へ転身
大学卒業後、大手企業で6年勤務したのち、
実家の病院事務を2年経験し、
その後はお見合い10人目で結婚、
千葉市で5年ほど暮らしました。
見知らぬ土地で結婚半年後には
プチ鬱状態になりました。
姉の勧めもあって、フットセラピーや
スウェディッシュトリートメントなど、
いくつかのセラピーを習いに行き、
私は自律神経を整える施術や
癒しの世界に魅了されていきました。
スクールの帰りは足取りも軽く、
ニコニコ笑っていました。
新たにやりたいことが見つかった私は、
塞ぎこんでいたことが嘘のように
元氣になりました。
スクールが経営するサロンで
セラピストの仕事を始めたものの、
「さあ、これから!」という時に
長女を授かり、退職しました。
出産後は勉強を再開し、
アロマテラピーのインストラクター
の試験にも合格し、
夫の転勤で地元岡山に戻り
本格的にセラピストの仕事をしよう、
と取り組んでいましたが・・・
その後、諸事情により急遽方向転換、
紆余曲折を経て金融機関の管理職として
13年間仕事を続けてまいりました。
生まれつき目の焦点が合わず、
脳疲労を起こしやすい私は、正直なところ、
事務仕事は得意ではありませんでした。
しかし、人と接することは好きでしたので、
お客さまとコミュニケーションをとる中で、
お役に立てるお話をして喜んでいただけた時は
とても嬉しい気持ちになりました。
そして十数年の仕事で、
お客さまのご病気や老い、死・・・
さまざまな生き方や価値観に触れ、
お客さまから多くのことを学びました。
次々と家族が病気に・・・
話は変わりますが、
結婚以来、家族の病気が何度かありました。
義父の大病が2回
義母の大病
実家では
母はまるで病気のデパートのようで、
何度か三途の川を渡りかけては
不死鳥のごとく蘇りました。
父は糖尿病なのにアルコール依存!
(医者なのに・・・)
家族に病人が1人出ると、生活は一変します。
その度に家族が一致団結し、
自ずとそれぞれが自分の役割を果たし、
家族の絆は深まっていったように思います。
一見マイナスに見えることでも、
裏を返せば、捉え方を変えれば
プラス面も見えてきますね。
新婚早々、付き添い生活に
2001年1月、結婚直後のことです。
泌尿器科医の父が
義父の話から誤診を疑い、
実家の病院で診察したところ、
膀胱がんが発見されました。
当時兄が勤めていた倉敷の基幹病院で
手術が行われました。
(このK病院では、後に実家の母も入院し、
私も次女をここで出産しました。)
手術直前のストレッチャーの上で
不安があったのか、義父から
「手を握ってほしい。」
と言われて手を握ったことが
とても印象に残っています。
治療は功を奏し
その後何度か再発しながらも、
病気と上手に付き合いながら、
義父は毎日の散歩を欠かさず、
週に3回のテニスも続けていました。
死の危機から脱した義父へのアロマトリートメント
時を経て、2016年12月
義父は風邪のような症状で
かかりつけ医に行ったものの
症状は治まらず、
自ら救急車を呼び、K病院で
三度目の入院となりました。
最初は原因が分からず、
集中治療室で容態は悪くなる一方で、
数日後に分かった病名は
「ウイルス性心筋炎」でした。
担当医からは
「いつ何が起こっても不思議ではない。」
と宣告され、
高松から見舞いに来た両親も
「あと2週間持つかどうか・・・。」
と言われました。
家族は一様に動揺を隠せませんでしたが、
6人で即座にチームが結成され、
それぞれが役割分担をしました。
親しい親戚や
東京からは大正生まれの伯母も
お見舞いに駆けつけてくれました。
危機的状況との担当医の言葉にも関わらず、
義父とは普通に会話は出来るし、
何だか不思議な感覚でした。
私に出来ることは何か?
12月の繁忙期でしたが、入院翌日から
私は仕事を終えて、毎晩病院へ通い
膝から下の施術(フットセラピー)や
ハンドマッサージをしました。
ウイルス性心筋炎と判明した後は、
アロマの先生にレシピをお聴きし、
手持ちの精油でブレンドオイルを作って
病院に持参し、アロマトリートメントを
しました。
施術がとても気持ちよかったのでしょう。
義父は毎回
「気持ちいいなあ。」
「ありがとう。」
「明日も来てくれるかな?」
と言ってくれて、翌日を楽しみに
待っていてくれました。
義父の心からの感謝の言葉は、
私の疲れを吹き飛ばしてくれました。
昭和一桁生まれで頑固な義父
隣りに住んでいても、気難しい義父とは
普段はそう会話も多くなかったのですが、
この時ばかりは違いました。
今まですることのなかった会話が生まれ、
タッチングケアを通して、
心も繋がっていく感覚
日頃お世話になっているのに
親孝行も大して出来ていない。
まだあの世へ行く、と決まったわけではないし、
悔いの無いよう、出来ることをやり尽くそう。
どんなに疲れていても欠かさず行こう。
と私は心に決め、ほぼ毎日病院に通い、
義父に心を込めて施術を行いました。
実際、私はこの12月に二日続けての葬儀と、
仕事納めの直前には東京の叔父のお通夜にも
参列し、否が応でも「死」について考えさせ
られる日が続きました。
そして奇跡は起こりました。
年末年始には一時帰宅の許可が出て
家族全員でお正月を迎えることが出来ました。
こんなに嬉しいお正月は初めてでした。
入院から退院まで、ちょうど1か月でした。
85歳にして、大きな危機を乗り越えた
義父の生命力には驚かされましたが、
担当医、現代医療の技術
義父の生きようとする力
家族みんなの想い
これらがエネルギーとなって
この奇跡に繋がったのかもしれません。
すっかり細くなった脚の筋肉でしたが、
義父は退院後も以前と同様に毎日歩き、
今でも週3回のテニスと畑仕事を
続けています。
50歳を前に本当にやりたいことに気付いた私
この義父の奇跡の生還は
私の内面にも化学変化を起こしました。
こうして目の前の人に寄り添って
喜んでいただけることが、
私自身のやりがいと喜びになっている
ことに、改めて気付かされました。
そして、そのように気付かせてくれた
義父にも感謝することが出来ました。
病気にならない生き方、考え方を深く学び
健康に関わる仕事をしたい!
人生90年と考えても、死から逆算すると、
元氣に活動できるのは何歳までだろう?
自分に残された時間はあと何年だろう?
できるだけ元氣に活動できる時間を延ばしたい。
そして本当にやりたいことをやって、
死ぬ時に後悔したくない!!
「人生とは時間」と強烈に思いました。
この時から、
私は早期退職を意識するようになりました。
急激な体重増加と更年期障がい
50歳になる前から
更年期でホルモンバランスも関係しているのか、
それまでは多少の無理はきいていたのが、
体調に変化が起こり始めました。
健康情報には日々アンテナを張っているのに
甘いものが止められず、食べる量も増え、
一年余りで体重は7キロくらい増えました。
それに伴い、更年期の首から上だけ妙な汗をかく
ホットフラッシュの回数も増えていきました。
最初はたまに起こっていたホットフラッシュが
毎日起こるようになりました。
50歳の秋には、一日に何度もベタっとした
汗をかき、私は次第にその不快感に悩まされる
ようになりました。
オンラインダイエットとの出会い
着られる洋服は少なくなっていくし、
太った自分の姿を鏡で見るのも憂鬱になり、
体重はとうとう70キロを超えてしまいました。
私は身長170センチと長身ではありますが、
これでは太り過ぎです。
美容にも良くないし、何より健康に良くない!
そんな時に
食事改善のオンラインダイエット
と出逢いました。
この食事改善ダイエットでは
なぜ太ってしまうのか、その原因が分かり
太る原因を取り除いていきます。
リバウンドせず、
日常生活に落とし込める食事法
であることも大きな特徴です。
思考が変わり
行動が変わり
習慣が変わります
すると、あれだけ食べていたお菓子も
ほとんど食べなくなり、面白いように
体重とサイズが落ちていきました。
気付けば、3か月後にはホットフラッシュも
起こらなくなっていました。
4カ月半で10キロのダイエット
に成功しました。
身体も気持ちも軽くなった私は、
失いかけていた自己肯定感も
取り戻すことが出来ました。
お客さまに寄り添い、食事を改善し、
共に喜びを分かち合うことの出来る
ダイエットコーチという仕事を通じて、
私はセラピストを目指していた頃の
原点に立ち戻りました。
お客さまに寄り添いながらのダイエットで
心身が健康で自分らしく生きることの
サポートをしたい
という想いで活動しています。
美しく健康に痩せたあなたの
ダイエットの先にある未来は
何でしょうか?
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(食事改善ダイエットコーチ)
【美しの玉代表 佐藤玉枝】
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